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「ピカ一投手が倒れた日」。1975年4月5日の毎日新聞運動面に大きな見出しが踊っている。その横には、美しいフォームをした下手投げの投手の写真。第47回センバツ大会で「大会随一の変則派」と言われ、強豪校の打線を手玉にとった福井商の前側佳邦選手だ。 |
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甲子園では華やかな活躍を見せた前側選手だったが、出身の足羽第一中時代は、外野と遊撃手で、投手経験はほとんどなかった。 |
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しかし、北野尚文監督は前側選手の強い肩を見逃がさなかった。 |
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投手としての練習を始めると、北野監督が見抜いたとおり、抜群のスピードボールを投げた。問題はコントロールだった。持ち前の速球を生かしつつ、制球力をつけるにはどうしたら良いかを考え続けた北野監督の結論は、下手投げに転向させることだった。結果的にこれが成功した。 |
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元々、打者にとって打ちづらかった威力あるインコースの直球に加え、下手投げ独特の打者の手元で浮き上がるシュートを武器に持った前側選手は、あっと言う間に全国から注目を集める投手に成長。 |
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下手投げ転向からわずか半年後の74年秋の明治神宮大会で、福井商を優勝に導いた。 |
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そして出場した翌年春のセンバツ。1回戦は倉吉北(鳥取)を6―1で、2回戦は広島工(広島)を3―0で破ってコマを進めた準々決勝。相手は、高知(高知)。 |
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前側投手は六回まで相手打線を1安打、四死球ゼロに抑える見事なピッチングを見せたが、七回、高知の岡本道雄監督が「あれが唯一のチャンスだった」と試合後に振り返った甘いシュートを三塁打とされるなどして逆転され、1―2で福井商は敗れた。 |
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前側選手は3試合を一人で投げ抜き、計3失点に抑える見事なピッチングを残し、福井商はベスト8に名を連ねた。 |
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「全国制覇」。就任時に北野監督がきっぱり言ったこの目標は、ベスト8を達成した後、選手らの心にも自然に芽生えるようになった。 |
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福井商が「強豪校」の仲間入りをした大会だった。 |
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(毎日新聞2001年2月15日から) |