福井商業高校
就任して34年 北野尚文監督  

福井商の北野尚文監督が就任して今年で34年目。甲子園出場は春夏合わせて計27回を数えた。どの試合も北野監督の心の中に鮮烈に記憶されているが、特に思い出深い試合を、数々のエピソードとともに振り返ってもらった。

1971年3月28日。甲子園。初出場の福井商は一塁側ベンチに陣取っていた。北野監督は25歳。ベンチの部員は13人しかいなかった。参加チーム中、最少人数での出場だった。

 初戦の相手は、同じ初出場の戸畑商(福岡)。試合は、初回に1点を先取した福井商が、七回までは6―3とリード。

しかし、課題の守備の乱れを突かれ、八、九回に計5点を献上。6―8で敗れ、初陣を飾ることは出来なかった。

この試合は、「『甲子園なんてまさか』と思っていた選手たちの心に、甲子園は決して夢ではなく、『甲子園で1勝したい』という欲も生んだ」と、北野監督は振り返る。

その3年前の68年春、大学を卒業したばかりで監督に就任した北野監督が、部員を前に「目標は甲子園。

そして全国制覇だ」と話すと、部員は「まさか自分たちが」とキョトンとしていたという。

しかし、北野監督は本気で、翌日からは甲子園を目指した猛練習が始まった。その厳しさについていけない部員も続出。当初十数人いた部員は夏の終わりにはわずか3人になった。

北野監督は自転車で部員らの家庭をまわり、部に戻るよう説得する日々が続いた。北野監督の永平寺中時代の野球部監督、長谷川裕さん(故人)も北野監督に内証で部員の慰留に奔走。グラウンドに部員が一人、二人と戻ってきた。

 当時は、野球の試合をするのに必要な9人の部員を集めることが難しく、周囲の誰もが甲子園なんて夢だと思っていた。

それだけに、甲子園出場という夢をかなえた選手が、「ベンチからでもはっきりと分かるほど緊張していてガチガチだった」(北野監督)のは仕方がない事といえた。

それでも、北野監督は、初の甲子園について、「甲子園は出るたびに、選手らの心に何かを残す。この時は、選手にも僕の心にも『甲子園で1勝。そのためにできることは何でもしてやる』という闘争心が明らかに芽生えました」と振り返る。

以降、福井商は、86年夏から90年春まで8季連続甲子園出場や、ベスト8(75年春)、ベスト4(96年夏)、準優勝(78年春)と県高校野球史上に輝かしい成果を残すことになる。 【阪本麻記子】

(毎日新聞2001年2月14日から)

戻る