福井商業高校
1996年夏

  選手の素質を見抜き、最大限に引き出す福井商・北野尚文監督の手腕と選手の才能、努力が存分に発揮されたのが、1996年夏の大会だ。

 地区大会で、出場チーム中2番目に少ない5試合しか戦ってないのに、盗塁数は、2位の横浜(神奈川)を15も上回る43。

驚異的な機動力に加え、1試合平均13得点という記録で甲子園入りした。

半面、大問題も抱えていた。その年のセンバツ出場の原動力となったエース・鈴木健一投手が右ひじを痛めて控えに回っていたのだ。

 代わってエースを引き受けたのがセンバツでは控えだった亀谷洋平投手。183センチの長身から投げ下ろす速球が持ち味だったが、コントロールが課題の投手だった。

「指導者は見るだけではだめ。観察しないと」と口癖のように語る北野監督は、亀谷投手のこともずっと「観察」してきた。「入部時からいつも何か引っかかるところがあった」が、それが何なのかは分からなかった。

それが、3年生になった亀谷投手を見ていて、「ハッと気づいた」。腰の開きが少し早く、腕の振りと微妙に合っていなかったのだ。「腰の開きを遅めにし、腕を少しだけ下げてみろ」。

この指示は、すぐに劇的な効果を生み出した。  甲子園での初戦。亀谷投手は東北の強豪、弘前実業(青森)を9奪三振で完封。

「まるでモチを引っ張るような(伸びる)球」(北野監督)での完ぺきなピッチングを見せた。これでチームは勢いづき、横浜との対戦となった3回戦を迎えた。

 生田昇一・同部後援会長やファンが「これまでで最も印象に残る試合」と声をそろえるこの試合は、2―4とリードされて迎えた九回に6点を奪う猛攻で鮮やかな逆転勝ち。

準々決勝では高陽東(広島)を5―3で破り、松山商(愛媛)との準決勝を迎えたが、それまで498球を投げていた亀谷投手にさすがに疲れが見え、福井商はベスト4で甲子園から去った。

 北野監督の指導上の信条は「強くなって勝つ、のではなく、勝って強く」。優秀な選手を集めて勝つのはなく、野球が好きで集まってきた普通の高校生に、勝利の味を少しずつ味わわせることで強くしていくことだ。

雪国の公立高校を率いて33年。春夏合わせて27回の甲子園出場という輝かしい歴史を刻んできた北野監督の28回目の甲子園はまもなく始まる。手に入れていないのは、優勝旗のみだ。 

【阪本麻記子】

(毎日新聞2001年2月19日朝刊)

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